臼井ってこんな街
自然と調和する首都圏のベッドタウン

千葉県北部、都心から40kmの距離にある佐倉市西部の臼井地区は、京成本線から都心へのアクセスも良好なため、ベッドタウンとして生活施設の整った街づくりが行われています。多くの美しい自然に恵まれ、淡水魚の養殖等を研究する内水面水産研究所も県によって運営されています。
歴史も深く、坂東平氏の流れをくむ臼井氏が築城した臼井城跡、防人の歌碑、八幡社を始めとする神社やお寺などもあります。
印旛沼

臼井地区北部に位置する佐倉市の自然を代表する印旛沼は、周囲約38kmの細長い沼で、コイ・フナなどの釣りスポットとして有名です。また、付近一帯が県立自然公園とされていて、サイクリングロードやランニングコース、遊歩道などが整備されています。
佐倉ふるさと広場

印旛沼のほとり、日蘭親善の象徴として建てられた本格的なオランダ風車「リーフデ(友愛の意)」を中心に、四季折々の美しい田園風景が楽しめる「市民の憩いの場」です。毎年4月にはチューリップまつり、8月には佐倉市民花火大会が開催され、多くの人で賑わいます。
臼井出身の有名人

日本野球界のレジェンド、ミスタープロ野球、長島茂雄さんは、臼井出身です。佐倉高校卒業までこの地で野球を楽しみました。
(写真:臼井小学校)

ロックバンドBUNP OF CHICKENのメンバーは全員臼井出身です。名曲「くだらない唄」「続・くだらない唄」の舞台といわれている宿内公園は、「BUMPのたんぽぽ丘」と呼ばれて地元ファンに愛されています。
(写真:宿内公園)
臼井歴史散歩
平安の世から転変を繰り返し、現在へ



平安時代、千葉介常兼の三男である六郎常康が臼井氏を名乗り、領主として墾田治水を行ったことで、臼井は下総臼井荘として栄えました。
鎌倉時代には、前期臼井氏は執権北条時頼に敗れて没落しますが、室町時代(1338年)に臼井興胤が後期臼井氏として再興します。
戦国時代に入ると、臼井でも多くの戦いが繰り広げられ、臼井氏は同族原氏により滅亡。1590年、豊臣秀吉による小田原城攻めで後北条氏方の千葉氏一族も滅亡し、臼井城も陥落しました。
徳川家康が関東に入国した際、その家臣である酒井家次が臼井城主となりましが、酒井氏が上州高崎に転封されると廃城となり、臼井は徳川幕府直轄の天領となりました。
約100年後、佐倉藩に組み込まれ、政治の中心は佐倉に移りました。江戸中期以降「成田山詣」が盛んになると、臼井は風光明媚な宿場町として栄えましたが、1897年に総武鉄道が成田まで開通したことでその役割を終え、大正・昭和の戦前戦中へ続く衰退期を迎えます。
昭和40年代の高度成長期には臼井でも大規模土地区画整理事業が進められ、現在は佐倉の主要都市として、近代的な街並みと歴史的要素、そして緑と水に恵まれた街として、更なる発展が期待されています。
臼井城址公園


14世紀中頃、かつて下総地方を支配した千葉氏の支族である臼井氏が城を構えた跡地です。当時の城郭の位置からは印旛沼が一望でき、かつての城主が眺めた風景が伺えます。現在は公園として、佐倉の自然と歴史にふれあう憩いの場として利用されています。